故人の好きだった桜の花をあしらった仏壇を選んでいただきました。
仏具一式も桜に併せてピンクで統一し、故人の好物を模したキャンドルを供えてあります。
不思議で不思議でしょうがないのでどなたか教えていただきたいのですが
「種無しスイカ」の種は何から採れるのですか?
『このスイカ美味めぇなぁ。来年も食べたいから庭に種まいとこうゼェ』
って、種無いジャン。なのです。
ここ数年そこかしこでザワつかせているシャインマスカットなども
今ある蔦が寿命をむかえたら、もう食べられないのですか?
どなたか教えてください。
先日テレビ番組に玄侑宗久さんが出演されていました。
玄侑さんは三春町にある臨済宗妙心寺派福聚寺のご住職にして芥川賞作家の方です。
福島のテレビには度々出演されておりまして私も存じておりました。
特に東日本大震災後、玄侑さんの言葉に随分と感銘を受けました。
番組内では去年から嫌ってほど聞かされてきた「不要不急」について語っておられました。
その中で特に印象に残ったのは「不要不急」の反対語は「必要至急」になるという言葉。
そして『お墓参り』は「不要不急」か「必要至急」かということです。
結論的にはお墓参りに限らず「不要不急」かどうかは自分自身が決めることなので
『どうぞお構いなく』とのことでした。
そして「不要不急」かどうかは行動してみないと分からないだろう。ともおっしゃってました。
全くもってその通りだし『どうぞお構いなく』には『良くぞ言ってくれたわぁ』でした。
新型コロナには人の命を奪うと同時に、人々の心を分断してしまうという側面もあります。
「それは必要な外出なのか?」や「ワクチンを打った。打たない。」などなど。
こんなウィルスに心を荒らされることなく、日本人らしく生きていきたいものです。