「何年か前の唄にあったようにお墓にはご先祖様はいないかもしれません。
私が考えるお墓とは亡くなった方を偲び、語らう場だと思っています。」
先週お手伝いをさせていただいたご納骨式のご住職様の説法でした。
素敵な説法でした。
私はお墓及び仏壇に手を合わせる時必ず
『家族全員を見守っていてください』と先祖にお願いをいたします。
以前良いか悪いかわかりませんがお客様とこんなやりとりをいたしました。
具体的に書けませんので抽象的な表現で申し訳ありません。。
「頑丈に造らないといけないことはわかってるんだけんども、ご先祖様が怒り出して
バチが当たったりすんじゃねぇかと心配なんだけんじょも。大丈夫かねぇ石屋さんよぉ」
『ご心配は確かに。ご先祖様に申し訳ない。というその気持ちが大切ですよねぇ。
その気持ち自体がご先祖様にとってはうれしいことなんじゃないでしょうか。
そのように考えることができるのってすごいことですよぉ。』
「いやね。知り合いでもお墓を直した後に体を壊した。って話をきいたもんで。
どおしたもんかな。ってなッ」
『これは全く私個人の考えですが、ご先祖様のことを想ってお墓を建てるわけですよねぇ。
それなのになんでそのご先祖様がバチを当てたり祟ったりするんですか?
絶対そんなことはありませんよぉ。
Aさんの御先祖様はそんな方じゃないですよぉ。
例えば今私が死んで残された家族がお墓を建てようとしているとします。
たとえそれが私の意とするところじゃなくても私の為にしてくれることに
涙が出るほど感謝すらしえど、祟ろうなんて思ったりしません。
Aさんだってそうじゃありませんか?』
「確かに。言われてみればそうだなぁい。酒ばっか呑んでた親父だけんじょも
バチを当てるような親父じゃないわな。じいさんだってそうだわなぁ。」
『Aさんはとってもおだやかで優しい方じゃないですか。
そのご先祖様にそんな悪さをする方がいるとはおもえませんよぉ。』
「いやいや石屋さんよぉ。うちのオヤジはあんまオツムがいいほうじゃなかったから
バチの当て方がわからねんじゃねぇのかい。ワッハッハァ」
これまたおもいっきり持論ですが
『家族を守ってくれるご先祖様は数知れど祟るようなご先祖様は一人たりともいやしません。』
明日は彼岸の入り。さぁ今年も語らいに行きましょう!